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亀澤恭平の戦力外理由は?戦績・経歴や年俸をwiki風まとめ

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プロ野球セ・リーグに中日ドラゴンズの内野手、亀澤恭平さんが10月1日にチームより戦力外通告を受けました。
今日は、その亀澤恭平さんについて、お話していきたいと思います。

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亀澤恭平とは?

1988年岡山県出身の30歳です。
岡山県作陽高等学校、環太平洋大学を卒業し、2011年に香川オリーブガイナーズ、2012年から2014年まで福岡ソフトバンクホークス、2015年から2019年は中日ドラゴンズに所属しています。
2019年の年俸は2600万円です。
俊足と安定して守備が好評で、ベンチでもムードメーカー的な役割を果たしていました。
大学時代は金髪で、恩師に叱られて更生したという話もあります。

プロ野球入団まで

中学から軟式野球を始め、高校では野球部に所属するも、甲子園出場の経験はありません。
高校卒業して環太平洋大学に入学し、中国地区大学野球連盟の野球部に入部しています。
4年生のときには、初のベストナインに選出、大会優勝などを経験し、プロ志望届を出すが、ドラフト会議では指名漏れとなっています。
大学卒業後には、香川オリーブガイナーズに入団、福岡ソフトバンクホークス三軍との交流試合でも活躍し、スカウトの目に止まり、2011年ドラフト会議で、育成2位指名を受けました。
このときの背番号は124です。

福岡ソフトバンクホークス時代

2012年ウエスタン・リーグ公式戦では、開幕戦に出場しています。
しかし、結果をその後も残すことは出来ていません。
2013年、オープン戦ではベンチ入りをしています。二軍で98試合に出場し、規定未到達ではありながらも打率.310、出塁率.364と結果を残しています。しかしその後は調子が上がっていません。
2014年は、二軍で106試合に出場しています。初の規定打席となり、リーグ3位タイの三塁打を5本を打って、盗塁成功率も上がります。しかし、守備でもミスや調子が継続せず、自由契約となります。

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中日ドラゴンズ時代

2014年秋季キャンプに招待され、プロアマ交流戦にて結果を残します。
その後支配下登録選手となります。
2015年、開幕一軍となり、4安打と好調でした。その後も順調に活躍し、契約更改交渉では、440万から約2000万という大幅なUPの金額でのサインをしました。
2016年、前年よりも出場試合数は減りました。
この年に幼馴染の方と結婚を発表しています。
2017年は、走塁中に左膝を負傷し、登録抹消となりました。
2018年、中日ドラゴンズに入団して、最多の110試合に出場を果たしています。
2019年、開幕一軍を果たしますが、打撃不振で登録を抹消され、その後10月1日に戦力外通告を受けました。

亀ヘッド?

選手間でのレギュラー争いが激しい中、福岡ソフトバンクホークス時代には、少しでも自分を目立たせようと、様々なポジションを守り、走塁に関しては、ヘッドスライディングを連発させていました。
本来ならば、怪我防止で禁止項目でしたが、監督に直訴したようです。
このスライディングが「亀ヘッド」と呼ばれていました。

まとめ

足の早い、守りも堅い、良い選手ではありながらも、厳しいプロ野球という世界では、本当に大変だということが、亀澤恭平選手の経歴を見ると、実感できます。
ご本人も、なんとか一軍へ、なんとかレギュラー定着へと、自身をアピールしながら、戦っていたということが、よくわかります。
しかし、思いとは裏腹に、結果がついてこず、戦力外通告となってしまったようです。
チーム内では、ムードメーカーとして、良い空気を作っていたりと、野球の環境を整える才能もお持ちのように感じます。
厳しい現実ではありますが、今後の亀澤恭平選手を応援したくなりました。
この逆境にも負けずに、納得のいくやり方で、野球を続けてほしいですね。

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