ダイエット

村中恭兵の戦力外理由は?戦績・経歴や年棒をwiki風まとめ

投稿日:

その名前は母が大好きな俳優・柴田恭兵さんにあやかってつけられ、それを知った柴田恭兵さんにも声をかけられたという野球選手・村中恭兵選手。

小学生の頃から一塁手として野球を始め、野球選手を夢見た村中恭兵選手ですが2019年、今季限りでの退団が報道されました。

そこで今回はそんな村中恭兵選手のこれまでの経歴や戦績、さらにプロフィールを一緒に調べていきたいと思います。

スポンサーリンク

Wiki風プロフィール?

ではまずは、村中恭兵選手のプロフィールをWiki風にご紹介していきたいと思います。

・1987年10月25日生まれの32歳(2019年10月現在)。
・神奈川県愛甲郡愛川町出身。
・2003年東海大甲府高校に進学。
・2005年高校生ドラフト1巡目で東京ヤクルトスワローズに指名。
・2006年に初登板を2軍でスタートさせる。
・2019年今季限りでの退団が報道される。

高校時代には夏の甲子園にも学校として出場したがベンチ入りしたのみで登板の機会はなかったそうです。

この投稿をInstagramで見る

9/22 戸田球場 #村中恭兵 #東京ヤクルトスワローズ

kaitoさん(@kai9_66)がシェアした投稿 –

//www.instagram.com/embed.js

では続きまして、村中恭兵選手のプロ入り前とプロ入り後の選手としての経歴や戦績を調べていきましょう。

経歴と戦績は?

まずはプロ入り前の村中恭兵選手の経歴を見ていきましょう。
野球との出会いは小学校2年生の頃「中津リバース」で一塁手として野球を始めます。

中学校時代には相模原南シニアに所属して左投げを評価され、一塁手とともに投手も兼任し、活躍をしていました。

2003年には「東海大甲府高校」に進学し、1年生ではベンチ入りのみ、2年生では故障明けだったこともありベンチからも外れていました。

2年生の秋からはエースを務めましたが、3年生になり夏の山梨県大会で敗退し結果として甲子園での登板は叶わなかった。

2005年に行われた高校生ドラフト会議では東京ヤクルトスワローズに1巡目で指名され、器用でコントロールが良く将来性は十分と言われ素材として高く評価された。

プロ入り後の2006年には2軍でプロ初登板を努め、自己最高の145km/hを計測するなど躍進し、同年10月には1軍に初昇格して初先発。

2007年は2軍キャンプスタート、球威の凄さを増し北京オリピックでは登板すらないものの日本代表に選出されました。

オフシーズンにはハワイで行われたウィンターリーグに派遣され3勝1敗2セーブし防御率2.00の好成績をおさめ話題になりました。

2008年には1軍からのキャンプイン、星野仙一さんからも「精神面を鍛えろ」と激励されその期待に応えるように先発ローテーション入り、中日戦で7回1失点8奪三振の好投でプロ初勝利をおさめました。

その後の巨人戦では快挙達成にはならず、8月には左ひじの怪我で治療とリハビリに専念し2009年後半には1軍に昇格し最終的には1勝6敗の防御率7.12で終えた。

2010年からは開幕3戦目に先発し巨人打線から11奪三振を記録し巨人戦勝利をおさめ、その年は「新巨人キラー」と呼ばれるほど、しかしその反面で阪神戦では相性が悪く0勝3敗となった。

//www.instagram.com/embed.js

その後は怪我によって登録抹消、2ヶ月もの長い期間の離脱などもありながら相性の良い巨人戦では初完投・初完封の他、球団初のCSファイナルステージ進出の立役者となった。

2012年にはまた投球に不安定さが見られながらもオフには「侍ジャパンマッチ」で代表入り、翌年序盤、6試合のうち4試合で7イニングを投げ3勝を記録、最終的には防御率も5.00と安定した。

2014年には再度登録抹消、夏以降に復帰するが怪我で離脱、2015年は1軍登板はなく、2016年開幕から1軍メンバーとなり52試合に登板7勝3敗6ホールドの防護率3.90の成績をおさめました。

2019年は1軍登板なく、球団から引退セレモニーを打診され、今季限りでの退団が報道されました。

怪我や故障などによって安定しない時期を経験しながらも、相性の良い巨人戦ではキラーマンになるなど約13年間、東京ヤクルトスワローズで活躍をしてこられた村中恭兵選手の経歴と戦績をご紹介しました。

スポンサーリンク

戦力外通告の理由と年俸は?

身体の故障が続いた村中恭兵選手は今回、来季の契約なしの「戦力外通告」を球団から受けましたが「現役でできるように準備してオファーがあればやりたい」と現役の引退は避ける方針であると語られました。

そんな村中恭兵選手の年俸はどのくらいだったのでしょうか?
・2005年高校生ドラフト1位の契約金は7500万円。
・2006年から2007年は720万円。
・2009年には2200万円。
・2013年には自己最高年俸の6500万円。
・2019年は1400万円。

まとめ

・1987年10月25日神奈川県愛甲郡愛川町生まれ。
・2005年、東京ヤクルトスワローズに指名、契約金7500万円で入団。
・巨人戦での相性がよく「巨人キラー」と呼ばれた。
・故障や怪我によるリハビリなどで苦しむ。
・2013年には自己最高年俸の6500万円。
・2019年戦力外通告を受け退団、オファーがあれば選手続行したい意向を示す。

スポンサーリンク

-ダイエット

Copyright© 緑地すたいる , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.