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中後悠平の戦力外理由は?戦績・経歴や年棒をwiki風まとめ

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NPBの横浜DeNAベイスターズに所属する投手・中後悠平選手。
「中後(なかうしろ)」と読む姓はとても珍しく日本でも数少ない苗字の持ち主です。

野球選手としては「和製・ランディ・ジョンソン」とも呼ばれ、小学生の頃から野球に専念してきた中後悠平選手でしたが、そんな中後悠平選手が受けた「戦力外通告」。

華やかな球界で活躍した選手には名誉や大きな報酬が与えられますが、その一方で競争に敗れ表舞台から去りゆく選手が受ける「戦力外通告」を2度も受けた中後悠平選手について今回はその経歴やプロフィールを調べていきたいと思います。

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Wiki風プロフィール?

・1989年9月17日大阪府泉南郡熊取町出身。
・小学校5年生で父が監督をしていた少年野球団「熊取ベアーズ」に所属する。
・中学卒業後は「近大新宮高校」へ進学コース1期生として進学し硬式野球部に入る。
・高校卒業後は「近畿大学」へ進学し強豪である硬式野球部に入部する。
・2011年のドラフト会議で「千葉ロッテマリーンズ」に2巡目氏名で入団を果たす。
・2015年に球団から「戦力外通告」を受ける。
・2016年にはMLB「アリゾナ・ダイヤモンドバックス」傘下のマイナーチームに所属。
・2018年7月「横浜DeNAベイスターズ」が獲得を発表した。
・2019年10月1日「戦力外通告」を受ける。

中後悠平選手は双子で兄とともにお父さんが監督を努めた少年野球団に入団し、そこから野球人生がスタートしたんですね。

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経歴や戦績は?

さて、ここからは中後悠平選手のプロ入り前とプロ入り後の経歴・戦績について調べていきます。

まずは高校時代から大学時代までの経歴です。

近大新宮高校では2年の夏からのベンチ入りを経て3年生の夏、選手権和歌山大会で準々決勝に進出しました。
残念ながら春夏とおして全国大会が行われる甲子園球場への進出はなされませんでした。

近畿大学へ進学すると1年生の間は下半身の強化に専念、2年生のときには春季リーグはチーム10試合中9試合に登板し防御率1.47という好成績で2季ぶりに優勝に貢献。

この優勝をきっかけに全日本大学野球選手権大会の1回戦で全国デビューし名門・桐蔭横浜大学に完投勝利をおさめました。

3年生の春・秋季リーグでも活躍しリーグトップの防御率0.98を記録、2011年4年生の春季リーグでは8試合に登板し5勝3敗、2季連続で高い防御率を記録しました。

さらに秋季リーグ戦では10試合の登板で3勝4敗、防御率は2.15、72奪三振に。
在学中には50試合の登板で19勝13敗、260奪三振、防御率1.48を記録し日本学生野球協会に表彰されました。

2011年には第5回世界大学野球選手権大会の日本代表に選ばれ3試合に登板、打者11人に対して1被安打、4奪三振を記録してプロ入り前ながら優秀な経歴をお持ちでした。

プロ入り後のロッテ入団後2012年には東北楽天ゴールデンイーグルスとの対戦で救援登板、2者連続奪三振で切り抜け、チームを勝利に導き試合後にヒーローインタビューを受けました。

また埼玉西武ライオンズ戦でも救援登板で1イニングを無失点に抑えチームはその後逆転し一軍公式戦初勝利を記録した。
その時のヒーローインタビューでは「ウイニングボールは一番感謝している両親にあげたい」と述べました。

2013年には故障の影響もあり公式戦開幕直後までを2軍で過ごしその後1軍へ昇格するも打者9人を相手に5四球し安定せず、すぐに2軍に降格してしまいました。

その後も思うような戦績を収めることはできず、2015年に千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けてしまうのです。

2016年にMLB「アリゾナ・ダイヤモンドバックス」傘下のマイナーチームと契約を締結すると8月にはAAAパシフィックコーストリーグのリノ・エーシズに昇格し公式戦で13登板試合連続無失点を記録します。

2017年に改めてマイナー契約を諦結と前年に続いてメジャーチームスプリングトレーニングに招待され「メジャーへの昇格も目前」と言われ期待されていました。

しかしその夢も叶わず、マイナーチームへの降格を余儀なくされその後も昇格を見送られる結果となります。
マイナー契約で2018年にジャクソン・ジェネラルズに所属したが公式戦24試合の登板で1勝1敗と振るわずに6月のシーズン途中で契約を解除された。

その後、NPBの横浜DeNAベイスターズが左腕救援陣の強化を求めていたために入団テストの合格を条件に獲得を打診しその後、正式に獲得を発表した。

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NPBの対阪神タイガース戦1軍公式戦へ5シーズンぶりに登板しましたが3被安打1与四球2失点を記録した末、1イニングで降板。
その一方、中日ドラゴンズ戦では復帰後初ホールドをマークしチームの勝利に貢献、ヒーローインタビューも経験した。

1軍・2軍を2度に渡って行き来し、公式試合に8試合出場した。
通算防御率は3.60、ロッテ時代とも合わせNPB1軍公式戦で自己最高のシーズン記録を出しました。

2019年には2軍でチーム最多の44試合に登板し防御率1.17と大活躍したが1軍での登板は4試合のみ、その後自身2度目となる「戦力通告」を受けました。

戦績や経歴をまとめていきましたが、中後悠平選手の年俸についてはどうでしょうか?
ここからは戦力外通告を2度も受けた中後悠平選手の年俸を調べていきましょう。

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年俸や戦力外通告の理由は?

中後悠平選手の年俸データは次のとおりです。
・2011年(ロッテ)8000万円の契約金。
・2012年・1500万円。
・2013年・1650万円。
・2014年・1320万円。
・2015年・1060万円。
・2018年(横浜DeNAベイスターズ)・500万円。
・2019年・950万円。

生存競争が激しい野球界、マイナーリーグで結果を示せていなかったために2度も戦力外通告を受けた中後悠平選手、その年俸からも厳しさを知ることができますね。

まとめ

・小学校5年生で父が監督をしていた少年野球団「熊取ベアーズ」に所属。
・2011年のドラフト会議で「千葉ロッテマリーンズ」に2巡目氏名で入団。
・2016年にはMLB「アリゾナ・ダイヤモンドバックス」傘下のマイナーチームに所属。
・2018年7月「横浜DeNAベイスターズ」が獲得を発表
・2015年・2019年に戦力外通告を受ける。

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