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大引啓次の戦力外理由は?戦績・経歴や年俸をwiki風まとめ

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プロ野球セリーグのヤクルトスワローズの選手、大引啓次選手が9月13日に戦力外通告を受けました。
今日は、その大引啓次選手について、お話していきたいと思います。

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大引啓次の経歴

1984年大阪府生まれの、35歳です。
2019年はヤクルトスワローズに所属し、年俸3600万円です。
創建2000年の歴史を持つ神須牟地神社の宮司の次男として生まれました。
幼い頃から神社を手伝っていたようです。
小学校1年のときに軟式野球を始め、中学時代に硬式野球で全国大会に出場経験があります。
浪速高等学校時代に、1年生からベンチ入りして、遊撃手のレギュラーの座を獲得しています。
3年生の時には、大阪大会で5本の本塁打を放ち、高校通算で15本の本塁打を打っています。
法政大学時代には、東京六大学野球リーグ開幕戦で、9番三塁手として出場を果たし、それ以後、不動のレギュラーとしてチームに貢献しています。
大学では、ベストナインに5度選ばれ、リーグ歴代4位となる通算121安打を記録しています。
通算成績は、98試合出場し、365打数の121安打、打率331、5本の本塁打、62打点という結果を残しています。

プロ野球ドラフト会議

2006年11月21日に行われた大学・社会人対象のプロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズから3巡目の指名を受けて、入団しています。
このときの背番号は10です。
プロ入り時の契約金は8000万円でした。
そのほとんどを実家である神社に納めたといわれています。

オリックス・バファローズ時代

2007年の開幕戦に8番遊撃手として先発出場しています。
プロ初打席で、斉藤和巳から初安打を打ち、出塁し、盗塁も決めて、華々しい結果を残します。
シーズンを通して、レギュラーの座は掴んではいたものの、終盤に調子を崩してしまい、先発出場が叶わなくなります。
しかし、最終的には打率.329を記録し、新人としてはトップクラスの成績を残しています。
2008年には88試合の出場、打率.258に留まりますが、得点圏打率は.319を記録しています。
2010年は、ヒーローインタビューも経験するも、打率が落ち、二軍降格となる。その後一軍復帰もするが、調子は戻らない状態だった。
2011年には、開幕戦出場を果たすも、打撃不振に先発落ち。
同じ年から、小児がん専門治療施設などへの、年間安打数などに応じた、寄付金活動を開始しています。
2012年には、2番遊撃手として開幕戦に出場、しかし、徐々に調子が落ちていきました。
この年に、結婚を発表しています。

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日本ハム時代

トレードにより、2013年から日本ハムにて、開幕戦で遊撃手としてレギュラーになります。
出塁率や盗塁はキャリアハイとなる成績を残しています。
2014年、主将を努めます。
自己最多の132試合に出場するも、打撃不振に悩みます。
同じ年に、FA宣言を行っています。

ヤクルトスワローズ時代

2015年から、ヤクルトスワローズにて、開幕スタメンで起用されます。
しかし、左脇腹痛のため、戦線離脱してしまいます。
その後一軍復帰を果たし、史上最年少通算本塁打記録を達成します。
2016年、2017年と振るわず、2018年も開幕は2軍スタートでした。
2019年開幕より1軍に帯同して、通算1000本安打も達成しますが、9月13日に球団より、戦力外通告を受けました。
球団側は、引退セレモニーを打診しましたが、本人は現役続行を決意し、退団となったようです。

まとめ

法政大学時代には、野球部史上最高の主将と言われ、皆に慕われていたと言います。
実家は神社という特殊な家庭に育ちながらも、野球という道を志して、極めてこられた一人なのだと感じました。
契約金を実家のために使うという点からも、人柄や責任感の強さを垣間見ることが出来ますし、今回は退団となりましたが、自分の限界への挑戦を未だ諦めず、突き進みたい気持ちを後押ししたいと感じました。

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